台東区の観光スポット一覧

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テプコ浅草館【閉館】
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「テプコ浅草館」。東京電力が運営するこの施設は、現在閉館か休業していますが、館内には、古き良き浅草を偲ばせる展示物がたくさんあります。この施設は、「浅草下町ストーリー」と言うコンセプトで作られただけに、館内はノスタルジーを感じさせる不思議な空間となっています。面白いのは下町浅草の風景や実際の会話などが聞こえてくる仕掛けでしょう。テプコ浅草

道引長太郎地蔵尊
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徳川幕府第5代将軍の徳川綱吉の時代である元禄時代の浅草旧日並記に、「馬場尻地蔵」と記載されていた「道引長太郎地蔵尊」と言う呼び名は意外に新しく、1950年代に付けられたと言われています。道引とは耳慣れない言葉ですが、この地蔵尊を信仰すれば将来浄土に導かれるチャンスに恵まれると言う意味だと言われています。毎年8月には「みちびきまつり」が開催

はなし塚
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今を去る70年前の大東亜戦争の時代には、遊興が制限され、政府は昭和16年1 0月13日に落語53種を上演禁止としました。当事は落語家達も政府の方針に従って落語53種を上演禁止としました。花柳界や廓噺(くるわばなし)、酒飲み話等の落語の上演を自粛していました。「はなし塚」は、そのような世情と、上演禁止となった名作を弔うために建立されました。

浅草寺
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勝海上人が開祖とされ、飛鳥時代の建立とも伝えられる「浅草寺(せんそうじ)」は、平安時代、鎌倉時代、室町時代を通して、武士階級を中心に信仰を集めてきました。そして、徳川家康を開祖とする徳川将軍家の祈願所となってからは、一段と隆盛を誇るようになりました。現在は、地元の人達だけでなく、国内外から多くの参拝者が集い、その数は年間3000万人とも言

浅草富士浅間神社
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富士山参拝が著民の夢であった江戸時代は交通事情が悪く、庶民の夢は中々果たすことの出来ない状況でした。そう言った庶民の夢を地域で叶えるために、全国各地に富士山崇敬を目的とした「富士講」が結成され、同時に富士浅間神社の勧請が積極的に行われました。そして江戸でも、元禄年間(1688~1703)に「浅草富士浅間神社」が創建されました。創建当時は、

二尊仏
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雷門で有名な浅草寺境内にある二尊仏。現在の群馬県である、国館林の大久保村の高瀬善兵衛が願主とされる二尊仏は、金銅製の坐像で、江戸時代初期の貞享4年(1687)に、太田久衛門正儀により制作され建立されました。通称「濡れ仏」の名で全国に知られています。建立当時は300坪の敷地に石垣を廻らした、立派な仏像鎮座の地として伝えられています。現在は仲

浅草神社
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正和元年(1312年)の船祭に由来すると言われている三社祭で有名な「浅草神社」は、雷門を通り抜けた浅草寺の右隣に位置しています。創建は平安時代末期から鎌倉時代初期と推測されており、古くから三社さまと地元に人に親しまれています。御祭神は「檜前浜成命」、「土師真中知命」、「檜前竹成命」の三柱を祭っています。現在は、神社としての祭事のみならず、

木母寺
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木母寺(もくぼじ)は、比叡山延暦寺を総本山とする天台宗の寺院で、正式名称を梅柳山・木母寺と言い、別名「梅若寺」とも呼び親しまれています。今を去る1100年前の貞元元年(976)に、忠円阿闍梨が梅若丸の墓石が築き、同時に念仏堂を建立したのが木母寺の起源と伝えられています。明治時代には廃仏毀釈の難により廃寺となり梅若神社と称しました。しかし、

新奥山
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新奥山と呼ばれる「浅草寺奥山庭苑」は、浅草寺境内にある伝法院庭園と淡島堂の間に位置しています。この辺り一帯は、江戸時代には「奥山」と呼ばれ、江戸庶民憩いの場、そして盛り場として、大変な賑わいを見せていました。現代その場所は「新奥山」の名称で整備され、社会実業家として著名な「瓜生岩子銅像」、貞女として評価の高い「一葉観音像(石造)」、書家と

嬉の森稲荷
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現在の、台東区花川戸に位置する「嬉の森稲荷」は、江戸時代には浅草三大池と言われ親しまれていた達磨池側の嬉の森に祭られていたと伝えられています。嬉の森稲荷は、火伏の神として広く庶民に信仰されています。毎年4月の2の午の月には、氏子や近隣の人達によって、「嬉の森稲荷」の祭礼が受け継がれています。「嬉の森稲荷」が火伏の神として信仰を集めている由