台東区の観光スポット3一覧

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浅草寺 本堂
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浅草の顔とも言える浅草寺の本堂は、別名観音堂とも呼ばれ参拝者に親しまれています。3代将軍徳川家光によって建立され、国宝であった旧本堂は昭和20年(1945年)3月10日の東京大空襲の際に焼失してしまいました。現在の本堂は檀家や信徒の人達の尽力により、昭和26年(1951年)に起工し、昭和30年に遷座の儀が執り行われ、その後、昭和62年に内

竹屋の渡し
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「竹屋の渡し」は、隅田川に多数あった渡し船の1つで、山谷堀から向島三囲神社辺りを結んでいました。「竹屋の渡し」と言う名前の由来は、隅田川の西岸に竹屋と言う船宿があったことによると言われています。文献によると、江戸時代初期の隅田川にかかっていた橋は「千住大橋」だけだったことから、「竹屋の渡し」を含めて渡し舟は江戸の庶民にはとても大切な交通手

助六歌碑
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台東区にある花川戸公園内に、「助六歌碑」はあります。この碑は明治12年(1879年)に9世市川団十郎が中心となり、大旦那である日本橋在住の須永彦兵衛(通称は棒彦)を顕彰して、彦兵衛の菩提寺である仰願寺に建立されました。大正12年の関東大震災の折に消失しましたが、のちに発見されました。そして、碑を創建した際に世話役を務めた人の子孫が中心とな

田原町駅 芸能紋
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東京の渋谷と浅草間を走る地下鉄銀座線の田原町駅は、浅草駅の1つ手前にあります。その田原町駅のホームの中央に、「田原町駅芸能紋について」と題した額が掛けられています。これは、昭和2年に、浅草と上野の間に東洋初の地下鉄が開通した時、そして、当時日本一の繁華街として賑わった、浅草への玄関に趣向を添えるために設置されました。当事の有名な歌舞伎役者

宗吾殿
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「宗吾殿」は、江戸時代の義民として有名な、下総国(現在の千葉県)佐倉公津村の名主であった「佐倉惣五郎」の遺徳を偲び供養するために建立されました。江戸時代、「佐倉惣五郎」は、佐倉藩の重税に苦しむ農民のため、藩主堀田正信に対して直訴をした罪によって処刑された義民です。 その後、佐倉藩の歴代藩主は惣五郎の霊を鎮めるために、百回忌などの法要を営む

五重塔
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浅草寺の五重塔は、天慶5年(942年)に、平公雅(たいらのきんまさ)公により本堂と共に建立したのが開創と伝えられています。その後、天変地異による倒壊や火災による消失を繰り返しながら再度再建されたために現在の姿を見る事が出来ます。昭和20年(1945)3月10日の東京大空襲のよる消失までは、徳川3代将軍家光の寄進による五重塔が国宝として聳え

鎮護堂
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鎮護堂(ちんごどう)は、浅草寺内にある伝法院の鎮守様で、「お狸(たぬき)様」の愛称で広く地元の人達に親しまれています。お狸様と言う愛称の由来は、幕末・明治維新の際に、彰義隊と官軍が上野の山で戦った時に戦火を避けて逃げ出したいたずら狸の群れが浅草の奥山近辺に住みつき、「自分達を保護してくれれば、いたずらせずに伝法院を火災から守ります。」との

浅草文化観光センター
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「浅草文化観光センター」は、浅草を訪れる人達の為に平成24年4月に開館しました。パンフレットに、「探せる・見せる・支える、をモットーに台東区を訪れる多くの皆様に役立つ情報サービスを提供します」とあるように、立体地図や公衆無線LANに接続されたパソコンなどが完備されています。建物は木調を基にした下町浅草らしい造りで、案内カウンターの後ろには

お水舎
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お水舎は、浅草寺の本堂前にあります。昭和39年(1964年)に、浅草料理飲食業組合の寄進のよって建立されました。天井には、「墨絵の龍」(東韻光画)、そして、八角形をした錆御影石製の手水鉢の上には、以前、浅草寺本堂裏にあった噴水に安置されていたと伝えられる、高村光雲作の龍神像(沙竭羅(さから)龍王像)が屹立しています。この沙竭羅龍王像(銅造

銭塚地蔵堂
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「銭塚地蔵堂(ぜにづかじぞうどう」は、江戸時代の享保年間(1716年~1735年)に、摂津国有馬郡に住んでいた山口何某の妻女が、自宅の庭先から「寛永通宝」が入った壺を掘り当てましたが、不労所得は家の滅亡の元、とばかり壺を埋め戻して商売に精を出したことが一家に繁栄をもたらしたと感じ、お礼の気持ちを込めて、埋め戻した壺の上に地蔵尊を祀ったこと