台東区の観光スポット4一覧

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弁天山
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世界中から観光客が訪れる、浅草仲見世が途切れた辺り、浅草寺宝蔵門手前の右側に「弁天山」が小高い丘としてその姿を見せています。弁天山は、浅草寺境内から除夜の鐘を響かせる「時の鐘」として参拝客に親しまれています。浅草っ子の中には、「弁天山の除夜の鐘を聞かないと新年を迎えられない」と言うほどのファンも多数います。この「時の鐘」は、1692年に「

駒形堂
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「駒形堂」は、浅草の顔と言われる浅草寺を構成する伽藍の1つで、浅草寺の境内にあります。駒形堂は、浅草寺の本尊である聖観世音菩薩が、およそ1400年前に隅田川から示現された事を契機に建立されたと伝えられています。江戸時代、この周辺は多くの船着き場や船宿があり、大変な賑わい振りだったと伝えられています。浅草寺へ船で参拝する人達は、上陸して最初

花の碑
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武島羽衣作詞、滝廉太郎作曲の唱歌である「花」を記念して. 昭和31年(1956年)に建立された「花の碑」は、現在の台東区浅草7丁目にある隅田公園内に立っています。国民的唱歌である「花」は、「春のうららの隅田川、のぼりくだりの船人が 櫂のしづくも花と散る、・・・」の歌詞で知られ、現在も歌い継がれている名曲と言えます。春の桜の季節に、上野公園

江戸下町伝統工芸館
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浅草を中心とする現在の台東区は、江戸時代から庶民の町、そして江戸文化発祥の町であり、商業の中心地、文化の発信地として栄えてきました。この地区には、粋でいなせな町人気質、そして職人が培った伝統産業などがあり、現在も下町の歴史と風土に育まれ、受け継がれて来た伝統技能を伝える職人が多数住んでいます。「江戸下町伝統工芸館」は、このような職人達によ

山の宿の渡し
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隅田公園内には、隅田川の堤防に背を向けて「山の宿の渡しの碑」が立っています。江戸時代、この場所は浅草寺まで300mほどの距離なので,  隅田川の東岸に住む人達にとって、浅草観音参拝のための重要な交通路になっていました。「山の宿の渡し」は、隅田川に数ある渡船の1つで、明治40年に発行されたの「東京市浅草区全図」には, 「山ノ宿ノ渡,枕橋ノ渡

スターの広場
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芸能人の手形とサインを集め展示している「スターの広場」は、浅草公会堂の玄関前にあります。この広場は、台東区が大衆芸能の振興に貢献した芸能人の功績を讃え、その業績を後々に伝えるために、1979年(昭和54年)に創設しました。毎年9月頃から大衆芸能のさまざまなジャンルから芸能人を選出する作業が始まり、翌年の3月に浅草芸能大賞と併せて顕彰式が執

猿之助横町碑
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「猿之助横町碑」は、現在の台東区浅草3丁目に立っています。この地は、2代目市川猿之助(猿翁、本名・喜熨斗政泰)が住んでいた事から、猿之助横町と呼ばれるようになったと言われています。2代目市川猿之助は、明治から大東亜戦争後にかけて活躍した歌舞伎役者で、後には、日本俳優協会の初代会長を務めました。この石碑は、昭和36年に地元の人達や浅草観光連

隅田川の船遊び
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「隅田川の船遊び」。どことなく江戸情緒を感じさせます。現在もそうですが、江戸時代の夏はことの外蒸し暑く、凌ぎにくいと言われていました。当事の江戸庶民にとっての手軽な納涼法と言えば、打ち水、水浴び、縁台にうちわと相場が決まっていました。そして、贅沢な納涼法として「隅田川の船遊び」がありました。「隅田川の船遊び」と言っても、ただ船に乗って川を

浅草見附跡碑
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江戸幕府の開府に伴い、江戸城にはたくさんの門が建造されました。それは江戸36門と称されています。その内の1つである浅草御門は、見付門といわれ寛永13年(1636年)に建立されました。現在は橋のたもとに「浅草見附跡碑」が立っています。江戸幕府は「入り鉄砲と出女」の取り締まりと、外様大名への対応のために、主要な地に「見附」と呼ばれる警護施設を

久保田万太郎生誕の地
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久保田万太郎 ( くぼた まんたろう、明治22年11月7日~昭和38年5月 6日 ) は、明治・大正・昭和の3代を生き抜き、常に浅草を中心とする下町の義理・人情を描写した小説家、戯曲家、そして俳人として有名です。明治・大正・昭和の文学・演劇界に多大な功績を残しました。その功績により1957年には文化勲章受章を授与されています。久保田万太郎